特集2 私の母子保健活動
無介助分娩がある山村で
和田 良子
1
1徳島県穴吹保健所・国立公衆衛生院
pp.38-39
発行日 1972年12月10日
Published Date 1972/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205190
- 有料閲覧
- 文献概要
五里霧中,試行錯誤の毎日
いま保健所の保健婦であるが,ただいっしょうけんめい行ない,しかも多くの経験,教授を受けた町村保健婦時代の記憶が鮮明である。この時代の母子健康センターを中心にした保健婦活動をまとめてみた。
大阪の学校を卒業してすぐ,徳島県の山村の保健婦になった。人口約1万5千,世帯数3千5百,母子関係の概況では,年間出生数130〜150,乳児死亡数3,周産期死亡数23,早期妊娠届率20〜30%,無介助分娩・無受診分娩がまだ多く,そして離乳食遅延,発育不良児がいる状態であった。母子健康センター開設にあたり,保健婦が必要ということで就職した。まず早期に妊婦の所在を明らかにすることに努めた。妊娠5か月,つまり着帯の祝いをするまでは届をする者も少なく,7〜8か月,あるいは10か月で出生届と同時に母子手帳をもらう者が多かったからである。
Copyright © 1972, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.