沖繩の公看活動 第3回
チビと糸満
浦野 元幸
pp.58-59
発行日 1969年6月10日
Published Date 1969/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204448
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糸満という町
ハーリーの鐘がなると梅雨があがる。よくいったものでハーリーが近づくと完全に真夏の日ざしが輝く。旧5月4日サバニ(沖縄独特のクリ舟)を飾った爬竜船によるレースが港々で行なわれる。糸満のは特に盛大である。旧8月15日の月見,そして大綱引。これが糸満の大きい行事である。有名な幸地腹門中墓というどえらい豪壮な墓もある。しかしこの南端の町糸満は20数年前には太平洋戦争最後の攻防戦でおびただしい犠牲を出した戦跡地でもあり,戦前からの居住者は家族歴に戦死,戦病死の肉親のない人はいないといっていいほど当時のすさまじさを物語っている。ひめゆり部隊,つまり県立第一高女の特志看護生徒が全員自決した洞穴にたてられた"ひめゆりの塔"をはじめ"白梅の塔""健児の塔"と前途有為の青年達をむざむざ散らせてしまったこの戦は激戦中の激戦であったという。
内地出身軍人軍属の戦死者は度文仁の丘に各県が競って慰霊の塔を建立し,その派手さにコンクールだと心ある人にいわれている。しかし処々の一家全滅の家は当時そのままに放置されむしろ迫力をもって戦争に対する無言の抗議を示している。
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