特別レポート
保健婦活動をささえるもの—大阪府衛保会経験から
林 義緒
1
1大阪市泉佐野保健所
pp.48-51,55
発行日 1967年5月10日
Published Date 1967/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203931
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サラリーマン保健婦
友人が養護教員に転職した。結婚し1児の母でもある彼女は,転職の理由をこう説明する。(1)チームをくんで仕事をするのが面倒になった。人間関係をやかましくいうのに,保健婦間の人間関係は必らずしも良好でない。所外相談一つするにも保健婦のうちの誰が応援に行ってくれるか,気を使う。(2)よい指導者に恵まれない。直接の指導者である婦長が,大勢人のいる前で保健婦をどなったりすることがある。若い時は耐えられるが,中年になってあのくつ辱には耐えられない。(3)給料がよいのと,休みが多いのと。虚弱な家族をかかえているため,一生職場を持っていたいので長期計画をたてると,学校の方がいろいろ有利であるという理由。
転職を決意したのは少し前のようだが,試験をうけたりなどしていて決定したのは,保健婦生活を10年経験したあとだった。一時は減俸になるが将来有利と希望をもって転職していった。この話を保健婦生活5〜6年までの人にすると,「そのことは私も考えています」という。げんに保健所から転職していく人は学校へ,転職してくる人は事業所又は町村からというケースが私達のまわりに多いのではなかろうか。卒業した時は,純粋にその仕事を選んで就職するのであるが,数年して自分の環境も変り(結婚,出生など)改めて周囲をみわたすと転職への動揺がおこるのではなかろうか。
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