ローカル・ニュース
ここでも保健婦を求めている
pp.49
発行日 1965年10月10日
Published Date 1965/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203483
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宮崎県西都市茶臼原台地は開拓地である.旧軍事施設の710ヘクタールに200戸の入植者がきたのは終戦直後.さまざまな難関,悪条件にいどみ,今では1戸当たり1.5から2ヘクタールの畑地を開き,甘藷を中心とする畑作で生活をたせている.しかし経営は苦しい.この数年,開拓をあきらめ台地から去った人も多く,現在残っている人たちの中にも「転職の見通しもないので,しょうことなしに土ととりくんでいる」(ある中年の主婦)という声も上がるほど.県外出かせぎで生計をたてている家庭も少なくない.「理想的営農を夢みて入植したが,20年前と変わらない苦しさ」と訴える人もある.
こうした状況だから衛生的にもよい結果をもたらすはずがない.さまざまな病気,傷害が人びとの周囲をとりまいているが,ここは無医地区.「医療の機会に恵まれぬばかりに,命を縮めた人をイヤというほど見てきました」と婦人会長の顔は悲痛そのもの.婦人会の総意で「医者がむりならぜひ常駐の保健婦さんを……」と再三市当局にもかけ合ってみたが…….台地には1,000人を越す人口があり,辺地的な様相を備えているものの,市街地に近接していること,財政再建途上の市には職員をふやす余裕がない,という返事しかかえってこない,保健婦さんが常駐してくれれば,病気の早期発見もできるし,予防面でも力になってもらえる,と人びとの願いは切実なのだが………
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