保健婦のあゆみ
つねに恵まれぬ人の友として—藤間アサヨさんの歴史(2)
土曜会歴史部会
pp.48-52
発行日 1965年9月10日
Published Date 1965/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203463
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退院後のアサヨさんは,今後の身の振りかたをつける助けにと,当時,四谷区谷町と旭町に母子ホームや保育園を経営して活躍していた社会事業家の徳永恕先生を紹介された.そしてこのめぐり合いこそ,その後の彼女の長い一生を方向づけるものであった.徳永先生の一貫した配慮と精神的激励によって,自分の人生は持ちこたえられたのだと彼女は今でもくり返し感謝している.ちなみに現在のアサヨさんの住居も杉並区にある徳永寮の一室である.
徳永先生はアサヨさんの技術と,信仰にあついその人がらを見込んで,東京府と交渉し,当時男ばかりの専任救済委員の職を始めて紅一点として彼女に与え,四谷区方面を担当させることにした.彼女は大正9年11月6日付で東京府社会事業協会から月俸45円の辞令をもらっている.当時の45円は婦人の給与としては破格のほうで,これで母子4人の最低生活を維持してゆくことはなんとか可能となり,アサヨさんは上京以来,ここに始めて生活の見とおしを立てることができた.これというのも,助産の技術があったればこそであろう.そこで彼女は,当時東京の代表的細民街の一つである四谷旭町の細民窟の一隅にたまたま空屋となっていた一銭学校のあとを与えられて,ここに「東京府社会事業協会人事相談所」の看板をかけ,彼女の公私一つの生活が始まったわけである.
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