保健婦のあゆみ
つねに恵まれぬ人の友として—藤間アサヨさんの歴史(3)
土曜会歴史部会
pp.33-39
発行日 1965年10月10日
Published Date 1965/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203478
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「みどり児の家」を建てる
大正12年の関東大震災では,旭町はその1/3を消失した.幸い藤間さんの家,社会事業協会の旭町救済部は消失を免がれたが,震災による東京市のゴタゴタで,翌13年には救済委員の制度も廃止され,旭町の救済部も閉鎖せねばならなかった.
しかし,幸いに藤間さんは解職と同日付の大正13年6月25日付で,東京市社会局から日給2円30銭でバラック管理委員を任命され,青山外苑と九段の集団バラックを担当することになった.
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