読者からの手紙
ありしの日のかずかずと希望
白杉 稔子
1
1東住吉保健所
pp.9
発行日 1960年11月10日
Published Date 1960/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202203
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女のみの会も色々世間にはある.しかし地味であつても自分を向上させる会としては数える程しかない時代に,私は勤務日数も浅く,保健指導研究会の何であるかも知らないままに出席し始めた当時からの先輩の方々の,一歩一歩の積み重ねを今日ふりかえつてみたいと思います.
あの頃中央公会堂で色々な研究発表会を開催した保健婦先輩のはりきつた顔々,当時の保健婦は育児指導にのみ邁進したものです.如何にすれば良い指導が出来るか,経験の浅い者が実際と取り組む事は本当にむずかしく理想と現実のくいちがいに頭を悩ました.私共の所長は食事を何時も一緒にしてその時々の疑問な点を話しあい悩みを解決していつた.また「外来者を多くする事は指導が下手な証拠だ.どんどんと外へ進出して外での指導即ち家庭訪問が大切である」と意見もされた.その点現在の業務量は保健婦の数から云つてもお話しになりません.戦時中は生きるために一生懸命で,業務に真から融け込む事が出来ず残念でした.そしてミルクの証明時代で毎日毎日机の上に積み重ねられる母子手帳の山,それが仕事と考えざるを得ない状態であつて,指導はあと廻し,事務的に処理され,お母さん達からは憎まれた事もあつた.それに配給量が定まつていますので栄養も考えられず,如何にしてこのミルクを次の証明の日まで伸ばして使つたらよいか,現在では想像出来ない事をしたものです.よくあれで子供が育つたものだとあとで考えると恐しい気が致します.
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