特集 国民健康保険と保健婦
国民皆保険と公衆衛生
田波 幸男
1
1厚生省保健所課
pp.17-21
発行日 1958年12月10日
Published Date 1958/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201771
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わが国の公衆衛生行政が急性伝染病の予防にはじまつたことは,他の諸国とその軌を一にしているといつてよいのであろう.安政の頃から明治初年にかけ,更には明治を通じて,コレラが海外から浸入して,国内に大流行を来たし,この他に痘そう,ジフテリア,赤痢なども例年のように流行した.この防遏は明治政府にとつては相当の問題であり,明治の初年には盛んに各種の法令を公布して,その予防に努力したが,それらが集大成して,明治30年に伝染病予防法として結実した.この法律は現在まで数次の改正を経ながらも,その重要部分は殆んど改変されることなく,その生命をつづけている.それ以来も防疫ということは公衆衛生の主流であつて,略々昭和10年頃まではこのような防疫イコール公衆衛生といつた傾向が顕著であつたといえるであろう.
明治30年頃になるとわが国の産業も急速に発展をして来,特に繊維工業の発展が目覚ましいものがめだつようであるが,それに伴つて結核も亦蔓延をみるようになつた.所謂紡績女工の結核の問題であり,これがひいては女工の帰郷による農村への結核の浸潤ということにもなつたのであろう.結核予防の問題は,急性伝染病予防の問題に比べて,医学的にみても余程複雑であり,むずかしい点が多いし,社会性も亦一段とつよい.このためでもあろうか,結核予防は遅々として進まなかつた.
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