音楽サロン
フオスター
山本 金雄
pp.53-55
発行日 1957年12月10日
Published Date 1957/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201547
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
明治の御代になる四十年前,まだ徳川将軍の威光が高かった頃,丁度アメリカの独立宣言五十年祭のその日,即ち1826年7月4日に生れた音楽家こそ,ドイツのワルツ王ヨハンシユトラウスと共に民族音楽の歌曲の作曲家として,古今東西他に類例を見ないステイーヴンフオスターであります.
父はイギリスの開拓者,母はアメリカのフイラデルフイア生れの教養ある女性で,幼時は歌とギターをもて遊び,黒人の女中と教会に通つた事等が,将来,フオスターが黒人に関係のある歌の幾つかを作曲した基をつくつたものでありますが,特に音楽教育,殊に作曲の方は特別に師事をした訳ではありませんでした.その事は,かえつて,作曲の技術はたどたどしく単純ではさつても,丁度フオスター3才の時にシユーベルトが死んで居りますが,シユーベルトと同じく,技術的な面よりも,寧ろ,その音楽性に於て人の心を強く打つ歌曲を作曲して居ります.
Copyright © 1957, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.