特集 上手な話し方
慰め
井上 泰代
1
1慈生会淮看護学院
pp.58-62
発行日 1957年5月10日
Published Date 1957/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201407
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「あなたは自分の医術で病人を治すつもりなら失望する.苦しむ人を常に楽にして上げる事さえ出来ないかも知れない.然し慰めを与える事の出来る不幸な病人はあなたの周囲に多くいる.」と友人の一人が私に言つた言葉を幾年も経た今日でも度々憶い出し,反省を新たにしています.
此の言葉が私に教えた事は「慰め」は言葉に現した話し方ではなくて,先ず第一にそして根本的に「愛のわざ」で,愛こそは誰に教えられなくても直ぐ分り,その深さ広さに差はあつても,しらず,しらず毎日の生活の中にやつており又やらずにはいられない極く私共の日常の生活に直接的な人間の性格として織り込まれているものだからです.人種とか,宗教とか階級とか貧富とか大人や子供のちがいはあつても,誰れでもが誰かに教えられなくとも,自然に愛する事を行つているのです.此の様に誰れにでもせずにはいられない愛のわざがお互いの間にその人々に応じた形で行われているのです.この様に素朴で単純な愛のわざは至極簡単で何んの困難もなく行れるかの様に見えますが事実は反対で相当修養ある偉大な人格を持つと見倣される人に於いてさえこのわざの完成はむずかしいのです.ところがこのむずかしい愛のわざが比較的容易にそして努力さえすればやれるのが私共医療の仕事に携わる者に与えられた特権だと云う事であります.
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