『ケースワーカーの話』
深川の人々
茂呂 ミヱ子
1
1深川保健所
pp.16-18
発行日 1956年8月10日
Published Date 1956/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201241
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同じ下町といつても日本橋の方からは「川向う」と呼ばれ,隅田川にかかる新大橋,清洲橋,永代橋によつて都心につながれ,東京都の東に位し南は東京湾に面し,満潮時にはところにより海面より低いと言われる低湿地帯が深川である.水利の便を利用した堀割とそれにかかる無数の橋で構成されたこの街は,木場と言う材木の集産地と,古くから気ツプのいい下町ツ子の意地で知られ,この界隈に住む人の中には現在でも粋で強気で,情に厚い下町気質の名残がのこされている.鼻つぱしが強く,如何にも生活力が旺盛そうなこの街は,反面,なんとなく.じめじめしていて貧乏くさそうに思われるのは何故だろう.一口に「本所深川」と言えばそれは貧困の代名詞のように感じさせる.私が26年5月にソシヤール・ワーカーとして勤務した時,会う人毎に「あちらは大変でしよう」となんとなく同情されたり,慰さめられたりした.本所,深川の言葉と同時に,そこには,貧困と無知がある事を連想していたのであろう.
私はそんな時,いつも複雑な気持で「ええ」と,あいまいにうなづきながら,一体深川はどんなところなのか考えてみた.働いても働いても生活がなり立たない事が本当の意味の貧困だとしたら,単に生活保護の保護率などで,生活状態をきめつける事は出きないし,これはなかなか容易な事ではない.更に人間の精神状態などは…….然しこの街には,いくつかの特色ある人間の生活がある.
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