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世界の波
末松 満
pp.122-123
発行日 1956年5月10日
Published Date 1956/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201190
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俳人蕪村が「春の海ひねもすのたりのたりかな」との名句をものしたのは200年ほど前,日本列島をめぐる四面の海が平和をたたえていたころであるが,近年になつても5月の海といえば一年中でもつとも静かなものと思われている.ところがどうだ,1956年の5月の海は8900万の日本国民を,これでもかこれでもかと,文字どおり四面から責めたてており,陸せまく山多く,海の幸を求めなくては生きていかれぬ民族に八方ふさがりの嘆きをあたえているではないか.
第1面(中部太平洋)--4月20日から8月末まで,マーシヤル群島一帯の海域に,アメリカが危険区域を設けた.その面積38万平方海里だというから日本の7倍ほどの広さである.5月早々アメリカはここで水爆の実験を始め,例の死の灰をまき散らすのだから,日本漁船は危くて近寄れない.日本国民の大好物であり,輸出カンづめの原料でもあるマグロが,事実上の漁獲禁止になつたようなもので,保健上の危険のほかに経済上の損害も少くない.
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