--------------------
世界の波
末松 満
pp.68-69
発行日 1956年10月10日
Published Date 1956/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201287
- 有料閲覧
- 文献概要
看護婦さんとお医者さんと,合せて僅か数名の一団が,日本青年会議所という財界巨頭の御曹子たちの団体がら派遣されて,南の国ヴエトナムを訪れた.町から村へと各地を巡つて貧しいヴエトナムの人民たちに医療と投薬を行つたそうだが,このささやがな行動が,今まで日本がヴエトナムに対して行つたいかなる外交的,経済的,政治的な援助よりも,(いわんや国会議員どもの親善視察旅行よりも)はるかに両国を結びつけるに役立つたという.――これは,今夏ヴエトナムから帰国した小長谷大使の口から私が直接きいた話だからまちがいない.
東南アジアの後進国に「技術,資本を与えて進ぜよう」との声は,日本の財界事業家たちが日夜お題目のように唱えているところだが,その目的は「後進諸国のため」というよりは,御自分がたが「一もうけしよう」というにあるらしい.だがらこそ東南アジアの諸国は,賠償というハッキリした形で日本がら資材,技術を取り上げなくては気がすまないのである.まず,もつとも強硬だつたのはフイリツピンである.日本軍に国の中心部を根こそぎ荒らされた恨みから,「80億ドル賠償を払え」と吹きがけてきたものだ.
Copyright © 1956, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.