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世界の波
末松 満
pp.65-66
発行日 1956年12月10日
Published Date 1956/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201319
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薫子夫人にいたわられながら,よぼよぼとモスコーへ乗りんだ鳩山さんが,10月19日「日ソ共同宣言」に調印したおかげで,10年あまり絶交していたソ連と日本は再びおつき合いを始めることになつた.
鳩山さん(そしてその蔭武者の河野さん)が,国民に誇らしげに語るところは「5条件をソ連に承諾させた」というにある.5条件とは何であろう.(1)戦争状態の終結,(2)大使の交換,(3)抑留邦人の帰国,(4)日本の国連加盟支持,(5)漁業条約の発効……ならべてみるといかめしいが,まず第一の戦争状態終結は,あたりまえの話であつて条件でもなんでもない.仲直りの条約を結ぶということは,戦争をやめる約束にきまつている.第2の大使交換もあたりまえでしよう.仲直りしておきながら互に大使を相手国へ派遣しなかつたら,「お早う」も「今晩は」も言い交わせないではないか.ただし,大使館をどのくらいの規模にするかは,これから話し合つてきめなくてはならない.戦前モスコーと東京の大使館員は,それぞれ40名足らずだつたから,今後もその程度でよかろうと思われるが,だまつているとソ連側では,赤旗のかつぎ屋やビラまきの人夫までも,大使館員だとして送りこむかも判らない.タイ国がソ連と国交を開いた時に,バンコツクのソ連大使館には300名もくりこんで来たので,タイ国政府は肝をつぶしてしまつた.
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