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世界の波
末松 満
1
1朝日新聞調査室
pp.58-59
発行日 1954年12月10日
Published Date 1954/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200868
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フランス革命の前,王朝はなやかなりしころ,ルイ14世の寵愛をあつめたポンパドウール夫人が住んでいたというパリ郊外のサンセルクルーの古城へ,去る10月19日,ドイツ首相アデナウアーが新聞記者の眼を避けて,ひそかに乗りこんだ.待ちうけていたのはフランス首相マンデス・フランス.
両国首相の密談6時間,食事を共にして更に2時間,ずいぶん長い会談だつたが,時機といい登場者といい,狙いはザール問題の解決にあつたこと疑いない.しかし,さすがは智惠者のマンデス・フランスである.いきなりザール問題を持ち出したのではドイツと正面衝突になる恐れありと観じたのであろう.まず両国間の経済問題から口火を切つた.フランスの砂糖や小麥をドイツへ輸出する話,ドイツ製品の輸入制限をフランスで緩和する話,アフリカに飛行機工場を建て,サワラ沙漠を開発するためにドイツ,フランス協力しようという話,などなど……そんな話をとり交わしたあげく「さてザール問題は」と切り出せば,ザールの不満をアフリカで補なうとか,貿易で埋め合わすとか,妥協の糸口も見つかろう.というものである.この「一山いくら」「合わせて一本」のフランス案が,多年手のつけようもなかつたザール問題に光明をみちびき,10月23日,どうにかこうにかドイツ,フランス両国のザール協定は出来上つた.
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