講座
努力して物を「数え上げる」事は無から有を生み出すよろこびに通じる樂しさである—統計の生きた使い方(その5)
平山 雄
pp.49-54
発行日 1954年11月10日
Published Date 1954/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200844
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
第5例 慢性疾患疫学調査の統計的処理
今迄のべた事は,殆んどすべて,既に手許にある(或いは手許でねむつている)資料からどのような統計を作り出すかということについてであつた.それらはたしかに重要なことである.日常業務に眞に忠実であるためには,机上の資料は最大程度に活用されるべきなのである.今回お話したい事は,それらと少し異なる事である.つまり,何もない所から欲しいと思う統計を作りあげることである.子供の頃,数えることに始めて興味を覚えた頃,或は窓越しに,或いは街頭に立つて,往来する自動車の数,馬車の数,男の人の数女の人の数,はては,眼鏡をかけた人の数など,数えあげて「ここの前を1分間に何がいくつ通る」などと自慢げに吹聽した経験は,誰にも一度はあるものである.私にはなかつたという人は,恐らくそのような事を忘却し去つた爲である.「自分の手で統計を取る」事は,無心の子供には,一つのたまらない楽しみなのである.
私は最近,癌の罹病調査を行つたのであるが,埼王県のいくつかの保健所管内の癌患者数を数え上げるという口でいえば非常に簡単,しかし実際には非常に苦労な調査を実施しつつ,本当に久しぶりに,無心の子供にかえつて,そのたまらないよろこびにひたつたのである.
Copyright © 1954, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.