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ダンテの話
野一色 武雄
pp.45-46
発行日 1954年9月10日
Published Date 1954/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200803
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イタリー古典文学の第一人者として,また現代イタリー語の創始者としてのダンテ・アリギエリの名と,不巧の名作『神曲』の名を知らないものは滅多にあるまい.といつても本当に『神曲』を読破し,その内容を正確に把握しているものは,これまた滅多にいないようである.ダンテが生れたのは1265年で『神曲』が書かれたのは大体1313年頃とされているから今日からみれば既に600数十年溯つた昔のことになる.したがつていくらダンテが現代イタリー語の祖であるとはいえ,今日話され,又は書かれているイタリー語の知識のみを以てしては読みこなすことさへ不可能に近い.ましてやこの大作の脊景には当時の社会情勢があり,歴史がありで,余程の予備知識が備わつていなければ内容を理解することなど覚束ない.源氏物語に数々の解釈がつき,注釈書が山ほど出版されているとおり,当のイタリーに行つても『神曲』の注釈書はいちいち例を挙げるのもわずらわしいほど出版されている.ダンテの生れたのは先にも記した樣に1265年であるが,場所はフイレンツエ(フローレンス)である.フローレンスはイタリーでも最も気候のよいトスカーナ地方の都であり,ルネツサンスの芸術をひとりで代表しているような町でもある.この気風は今もなお続いていて,毎年丁度ダンテの生れた5月になるとイタリー各地から一流の芸術家が集まつて一大芸術繪巻をくりひろげるのを恒例としている.
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