講座
結核アフタケヤ
久野 馨
1
1国立愛知療養所
pp.9-12
発行日 1953年11月10日
Published Date 1953/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200622
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結核の治療は極めて困難なものであります.複雜を極める結核の症状や経過に対して,時期を誤らず適切な治療を施し,諸症を好転せしめ,療養の最後の仕上げとも称すべき作業療法を卒えたのにもかかわらず,肺その他に一定の変化を残し,波荒き社会に直接復帰するのに,物心兩面に不安を感ずる人々を如何に取扱つて行くかゞアフタケヤの問題であると考えます.
歐米にては,occupational+hevapyからVillage Settlement等の公衆衛生的な処置が社会事業性を充分に加味して取扱われていますが,我国に於ては殘念ながら是等の施設は皆無に近く,長谷川保氏が昭和16年に靜岡県三方ガ原に聖隷保養農場を幾多の困難を克服して完成され,ついで昭和18年頃,傷痍軍人の再起奉公のため共同作業所を全国に10数ヵ所を設けて機械作業等を行い,更に友部指導農場,熟海の作業所等で計画され,終戰後後記施設が創設さるゝに至つた程度に過ぎません.
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