世界の波
棄民論と産兒制限
末松 滿
1,2
1東大
2朝日新聞
pp.44-45
発行日 1951年12月10日
Published Date 1951/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200200
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いまこの文章を読もうとするみなさんは,昨日の今ごろより4,000人多くの同胞を持つている。先月の今日よりは12,000人,去年の今日よりは150,000人多くの日本人が,敗戰で狹くなつた土地の上にうごめいているのである。去年の國勢調査による日本の總人口は8,320萬だが,昭和30年には9,000萬を突破,昭和37年には1億にもなりそうだ。1平方キロの田畑の作物を,オランダでは803人,ペルギーでは763人で食つている勘定で,これが世界で1番窮屈な國かと思つていたら,今の日本では1,400人が1平方キロの田畑を蟻のように食い合つているのだ。全く呼吸がつまりそうだ,なんとかならぬものか?――と思つているところへ,9月中ば,ブラジルから朗報がとびこんできた。今後6カ月間に60萬人の日本人を,中部ブラジルのマツトー・グロッソ州に迎え入れ,165萬エーカー(71萬町歩)の土地を開拓させようというのである。朗報とはいうけれど,まるで夢のような話だ。半年間に60萬人の移民を送るためには,6千トンの旅客船120隻が必要である。3年計劃で送るとしても15隻以上を動かさねばならぬが,日本には高砂丸,筑紫丸,氷川丸の3隻しかないし,貨物船を全部改裝しても及びもつかない。外國にだつてそうあまつた船があるものではないから,借りようとしたつて無理だ。その上,船賃數10萬圓のほか雑費を見積ると5人家族に百萬圓はかかる。
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