感想及び随筆
Sanger夫人産兒制限クリニツクを視察して
松本 寬
1
1慶應義塾大學病院産婦人科
pp.71-74
発行日 1946年7月20日
Published Date 1946/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409200078
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今や日本は歴史的一大變革を行ひつゝ苦しい胎動を續けてゐるのであるが,その當面する苦難の一に人口問題がある。勿論この人口問題には食糧増産問題,移民問題等も密接な關係があるにはあるが,何といつても現代日本の人口問題の核心は産兒調節であると稱しても過言ではなからう。
さてこの産兒調節は19世紀後半にをいて食糧の増加に比して人口が激増し,かつ貧富の懸隔が甚しくなつた結果,國民の經濟生活が脅かされるに至つて起つた産兒調節運動に端を發してゐるのであるが,この産兒調節運動は1803年に出たマルサスの人口原理から出發し,ミルノの新マルサス主義を經て,1876年イギリスにをいてマルサス聯盟が形成さられ,1910年に巴里にをいて,この國際大會が催されるに及んで次第に隆盛を來したのである。
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