連載 私のフィールドノート・8
シンポジウム,恋は成就せず
星野 晋
1
1山口大学医学部・文化人類学(医療人類学)
pp.794
発行日 2003年8月1日
Published Date 2003/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662100146
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保健師の皆さんも,地域社会でさまざまなシンポジウムやイベントを手がけられており,その準備・運営の大変さはご存じのことと思う。私はシンポジウムと聞くと,1987年,長谷川敏彦氏の下で国際シンポジウム「医療人類学の可能性」の手伝いをしたころの悪夢がよみがえってくる。とにかく大学院のほうはほったらかしで馬車馬のように働いた。そしてその膨大な雑用以上に苦労させられたのは,企画・運営に関わられた先生方のわがままに,だった。一般に政治家,教員,研究者,そして医師など,「先生」と呼ばれる人たちには,よくいえば個性的,悪くいえばわがままな人が多い。それに振り回されるのはいつも裏方ということになる。皆さんも,「先生」たちのわがままについては思い当たるふしがあるのでは?
さて個性と個性がぶつかり合って新しいものが生まれるならば,それはそれでいい。で,中身はどうだったか。A.クラインマン(医療人類学),S.トゥールミン(生命倫理)といった大物を招き,華々しく打ち上げたはいいが,その内容には何やら違和感を覚えた。それは何よりも日本の文化人類学者の影がきわめて薄かったことによる。たとえば開催2日目の4つの分科会のなかで,日本の文化人類学者が壇上に上がったのは民間医療のセッションのみだった。
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