特集 ‘援助’と‘看護’の間—独り善がりな看護ケアからの脱皮を
対象のニードに即した看護とは
中尾 アヤコ
1
1千葉労災病院看護部
pp.293-300
発行日 1984年3月1日
Published Date 1984/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661920722
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はじめに
‘かゆい所に手が届く’という表現があるが,その反対は,かゆい所に手の届かないもどかしさ,いらだたしさであろう.せっかく,かゆい所をかいてあげようと親切に手を差し伸べている方も,その好意を受ける本人も,肝心のところに手が届かなくては,満足感は得られない.遠慮や気兼ねのない人間関係ができていて,率直に‘もっと右’とか‘もっと強く’などと具体的に要望できれば,相手もかゆい所が正確に分かり,過不足のない力で援助することができるが,困るのは,一方はかゆい所に手が届いていると思い込み,一方はかゆい所に手が届いていないことを,口に出せないような場合である.しかし,一方が,相手の肝心なところに手が届いていないらしいということに気づき,それを確かめようとすれば,問題解決の糸口もつかめてくるが,ただ勝手に見当をつけて,相手の反応や気持ちに関心を寄せようとせず,ガムシャラに行為に夢中になるという状態では,結果として残るのは一方の自己満足でしかない.あるいは一方が,相手の肝心なところに手が届いていないらしいということに気づきながら,それを確かめきれない場合には,確かな手ごたえが得られないまま,なんとなく違和感を感じつつ,独り善がりの援助を続けるしかなくなる.
私たちは,これを日常の看護場面に置き換えて考えてみることができる.
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