特集 看護的感性
対談/看護的感性のあり方をめぐって
近森 芙美子
1
,
佐藤 登美
2
1横市立市民病院看護部
2静岡女子短期大学看護学科
pp.355-368
発行日 1979年4月1日
Published Date 1979/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918646
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その人の病気体験を通して全体を見る
近森 最近,佐藤さんは患者さんの病気体験や病気の受けとめ方に注目した研究を発表されていますが(“看護技術”1978年11月号),それはどういうことから始められたのですか.
佐藤 一言で言えば,患者さんをどこで全体として見ようか,ということです.病気はいろいろな側面からとらえられるわけで,医学のように病理学的なとらえ方もあるけれども,また一方体験,患者さんが病気をどのように体験しているか,というとらえ方があると思います.例えば,痛みとか,出血とかがある場合に,看護婦としてはそういう出血とか,痛みとかの部分だけをとらえてともかく対応していくわけですが,その場合でもその痛んでいる人の全体をつかまえないと,病気である人の一部分としかかかわっていないという感じがどうしてもぬぐい切れない.そこで私たちは,‘体験’というとらえ方から患者さんを見ていけば,より全体的にとらえられるのじゃないかと考えたんです.むろん,体験というものは目に見えるものではないから,その体験している‘仕方’を見ていくことになりますね.
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