手のひらで知る世界・1
クレヨン
石井 康子
pp.71-73
発行日 1979年1月1日
Published Date 1979/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918587
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
‘当たり前の日常’をなぜ書くか
‘見えないのにどうして何でもお料理ができるの?’‘聴こえないのにどうして人が笑ったり,怒ったりしているのが分かるの?’‘あなたのような人が,どうして独りだけで生活できるの?’
幼少のころから視力・聴力を失い,人との会話は,すべて手のひらに文字を書いてもらって行う,というふうにしてきた私は,こんな質問を,うんざりするほど聞かされてきた.こういう質問は,聞かされる方が困るほど,私にとってごく当たり前のことだから.見えなくても,触覚,臭覚など,他の感覚を動員すればいいのだし,その場にいれば,当然その場の雰囲気は全部とまではいかなくとも分かる.人は,その条件に応じて工夫しだいで,何事も道は備わっている.そしてそれらのことは,私にとってごく当然の何でもないことなのだ.その何でもないごく当たり前の,ごく平凡でしかない日常生活を営む平凡な私の身辺を,とりたてて活字にする必要はないと思う.私としては,本当に平凡な,ありふれた日常の流れの中で,自分なりに生きていきたいと願っている.
Copyright © 1979, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.