ともに考える看護論・1
Ⅰ.看護論を学ぶにあたって/Ⅱ.ヴァージニア=ヘンダーソンの“看護論”
川上 武
,
川島 みどり
,
平尾 晴江
,
山根 美代子
,
小坂 富美子
pp.46-51
発行日 1972年1月1日
Published Date 1972/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917556
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I.はじめに
看護実践の歴史は古くから蓄積されているにもかかわらず,看護学は未確立のまま,看護技術の体系化も行なわれていないことは,これまでに多くの人びとから指摘され続けている.その理由はいろいろあると思われるが,看護婦側の問題として,非常によい看護がされていても,個々人のその時々のカンや慣れに頼った仕事をして,その経験がその人個人のものとして終わってしまっていたことがある.そしてその仕事の評価は,病人から感謝されて自己満足をしていたことにとどまっていたのではないだろうか.したがって,その伝達方法も見よう見まねによる場合が多く,現在に至ってもなお,徒弟式訓練から脱皮しきれない部分を残している.
そもそも日本においては,診療の補助者としての看護婦が,医師により教育されたために,看護婦の頭で‘看護’そのものについて考えるゆとりはなかったのかもしれない.また,看護は戦争という極限状況の中におかれてゆがんで育った面もある.戦後,看護婦の地位向上が叫ばれ,制度の一本化の要望もされ続けているが,その裏づけとなる看護技術の確立が遅れていることは問題で,特に臨床現場の仕事の繁忙が,実践経験の分析の足止めになっている側面もあろう.
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