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はじめに
先日ある研究会で,後世に引き継ぐべき看護実践,看護教育の特質とは何かという議論の最中のことであった。川島みどり先生が,1970年代日本の看護界に起こった大きな変化が3つあったと話された。その変化とは,「観察」という言葉が「情報収集」に置き換えられたこと,モーニング・ケアがいつしか「環境整備」に取って代わってしまったこと,「看護計画」ではなく「看護過程」と呼ばれるようになったことである。これらの変化は,医療の中に数々の医療機器が登場し,それらを使いこなすことが看護の仕事の大きな部分を占めるようになったことや,看護を科学的に説明し,位置づけようとする風潮の中で起こったことは間違いない。私は,ちょうど今回取り上げる『ヴァージニア・ヘンダーソン選集─看護に優れるとは』を読んでいる最中であり,川島先生のおっしゃる「変化」に対する憂いが,ヘンダーソンの投げかける数々の問いと重なり合った。
「訳者あとがき」の中で小玉香津子先生が記されているように,私は,「念のためかとりあえずか,『看護の基本となるもの』を“もたされている”」学生の一人であった。しかし,看護師になっていつのまにか十数年が経ち,今,ここで本書の読後所感を書く機会を得て,これからも自分が立つべき位置はどこなのかを確認できたような思いがしている。本稿では,私が本書を読んで,何を確認し,何を発見したのかを述べようと思う。本書は,読み通すことができないのではと思うくらい分厚い,4部構成22章からなる書である。挫折しそうになった私は,訳者の小玉先生にお手紙を書いた。すると先生から次のようなお返事をいただいた。「少しでもお感じになるところがありましたら,それはそっくり吉田さんのものにしてください。それが生き残る,と思えるのです」と。小玉先生の言葉に励まされつつ,私の中に残ったいくつかについて,述べてみようと思う。
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