カラーグラビア 彩色医療図絵
長崎養生所のスケッチ
石原 明
1
1横浜市大学医学部
pp.5
発行日 1971年4月1日
Published Date 1971/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661915983
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19世紀になって内外の状勢が緊張を加えてくると江戸幕府は本格的な西洋医学教育の必要を痛感し、オランダ政府に教官を求めた。その結果、1857年(安政4年)秋に若い海軍軍医のポンペが来任、はじめは奉行所の一部で講義をしたが、のちに臨床実習の用に供すべく幕府と協議して、小島郷に洋風木造3階建2棟の病院を建設した(1861年9月)。日本最初の本格的洋式病院で長崎大学医学部病院の前身である。ポンペは日本滞在の5年間、1人ですべての講義と実習を担当し日本近代医学のために大きな貢献をした。この病院の模様のあらましは彼の手記“日本滞在5年”(邦訳あり)にあり、苦心のほどが察せられる。しかし看護のくわしいことはわからない。
この図は彼の手記の巻頭にある淡彩石版画で屋根には日蘭両国旗がひるがえっている。
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