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長崎『養生所』の追憶(2)—「養生所」は長崎出島に在つた日本最初の洋式病院である
荒瀨 進
1
1国立善通寺病院外科
pp.45-49
発行日 1950年2月1日
Published Date 1950/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200098
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文久元年,松本良順は長崎市外小島村に医学校「養生所」が建設さるゝ迄は西役所に隣接する大村町に住んでいた。その邸は和蘭居留地である「出島」にも間近く人々はこの邸を「伝習所」と呼んでいた。今の「寮」にあたり寮生である医学生の生活振りは1860年(万延元年一月)入塾した生徒の一人,長与専齊が当時の日誌「松番私志」につまびらかである。
こゝに捗らすも一つの事態が突発した。
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