特集 問われる医療過誤—千葉大採血事故裁判より
自らを賭けて惜しみない裁判
井上 正治
1
,
編集部
1九州大学
pp.32-35
発行日 1971年2月1日
Published Date 1971/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661915913
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私がなぜこの訴訟にかかわろうとしたか,それは実に,弁護士としてこの事件にパッションをかきたてられたということである。
学者ならば,学生を前に今日説いたことを,明日でも訂正することができるし,その訂正は,時には,学者として良心的でもあったということになり得る。しかし,ひとつの事件の弁護においては,まちがったから敗訴したということでは絶対に許されないのである。なぜなら,事件には依頼者の人間がかかっているからである。したがってうかつに事件を手がけることはできないし,いやしくも,いったん引き受けた以上,これに自らを賭けるパッションを持たなければ,弁護士は成り立たない。
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