ほんやく
直面するアメリカ看護の悩み—病人はだれが世話するのか──この直面しつつあるアメリカ看護の不面目な危機をどうするか
E.A.アイン
1
,
N.G.スチュワート
1
,
金子 敏輔
1
1神戸大学医学部
pp.48-52
発行日 1967年2月1日
Published Date 1967/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913035
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
だれでも患者となって入院すれば,看護が十分されるものと期待しているであろう。ところが生死をさまよっている重症患者が,完全に看護されないような状態とわかれば深刻であるし,患者の関係者は確かにショックを受けるであろう。わりあい気楽な入院生活をしている軽い婦人患者でも,ベッドパンをいくら待っても持ってきてくれず,持ってきても取りにきてくれないし,洗顔しようにもナースがきてくれなければ患者は泣きたくなるであろう。ナース自身が何をするのかわからないというのがこのごろの悲しい看護事情である。このあいだアメリカ看護連盟(National League of Nursing)の大会において,ある大学病院の看護部長が立って興奮した声でこんなことをいった。“いったいこのごろ本当の看護がされているのか疑っている。されていないとすればだれが看護をするのか。病院が直面している重大な問題である。この問題は早急に対策をたてねば──”
“いまアメリカの臨床看護は弱体化しつつあり,全く最悪状態である”と彼女は力説したが,そのとき看護専門職の集合にもかかわらず,この重大な批判的声明に対し,だれ一人驚きの様子を示さなかったのはどういうわけか。
Copyright © 1967, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.