教育の時代
学院紛争に直面して
室賀 不二男
1
1都立豊島高等看護学院
pp.1
発行日 1969年12月1日
Published Date 1969/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908928
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戦時中ジャワのスラバヤで,私は邦人病院長として救世軍病院を接収,その白人職員達の協力で診療をしていた。そこの素晴らしい看護にふれ開眼した私は,原地人の看護婦養成を総婦長のスイス人システル・ルフネルにゆだねた。その時以来,看護教育とのつながりができた。そして25年になる。
昭和22年豊島病院に就職,養成所の教育に熱情をかたむけた。最近の新カリキュラムの教科書を見たが,多分に私の初めの教本に似ている。勿論内容は極めて高度である。医師にしろ看護婦にしろ,この教科書を単独で講義ができるものとすると,日本の看護学も進歩したものである。
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