トピックス
コレラ禍に直面して
岩田 弘敏
1,2
1和歌山県立医大公衆衛生
2和歌山県湯浅保健所
pp.662-663
発行日 1977年9月15日
Published Date 1977/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205469
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和歌山県衛生部から,湯浅保健所長が病を理由に,5月末をもって退職したい意向があり,その後任問題に関して協力方の申し入れがあった.筆者自身,和歌山に来て2年半経過したにすぎず,まだ教室作りもできていない段階であった.まして,保健所に医師を派遣する態勢になどまったくなっていない現状から,大学は筆者を週2回程度,1年を限度に併任させることにした.筆者も教育保健所らしきものができればと夢をいだいて,6月1日付けの辞令を受けた.しかし学内・外の雑用もあって,保健所職員,有田市,有田郡の主だったところへの挨拶回りは,6月6日に延期した.次の出勤日は6月10日で,前所長からの引き継ぎ,アヘン生産者から厚生省への引き渡しの立会いなどで,夜遅くまで有田郡にいたが,コレラに関する"うわさ"は何一つなかった.
筆者は元来,感染症が不得手で,どこかで伝染病が起こったら,どうしようかという不安を,所長併任の話が出たころから,周りの人たちに言っていたのである.はからずも,保健所勤務3回目,このとき,職員の名前,まして性格・能力などまったくわからない時から,このコレラ禍のウズの中に立っていたのである.
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