日本看護史の旅・6
唐招提寺(奈良)
石原 明
1
1横浜大
pp.1
発行日 1966年6月1日
Published Date 1966/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912754
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日本仏教史上,大きな地位をしめ,また奈良時代の医家の最高といわれる鑑真(がんじん,687〜763)が,土地と建物を天皇からいただいて晩年をおくった寺。奈良のなかで最も原形の残る美しい寺だと私は思う。1200年忌の記念に再建した南大門は,3年前の建築とは想像もできない。門をはいると正面が金堂で,巨大な3体の仏像が安置され,その裏には奈良時代の宮殿を移した講堂があり,右には鎌倉時代の2階建てのカッコいい鼓楼とその外側に礼堂と僧房がならぶ。講堂の左手前は鐘楼,その左奥に神聖な場所とされている石造の戒壇が囲いの中にある。奥は本坊,その前に水質のよいことで知られる甘露井,ならんで近年移築した鑑真の像をまつる御影堂(江戸初期の一乗院御所),右手の最も奥まった場所に鑑真の墓がある。境内は手入れが行き届き,季節の野の花がいつも絶えない。東僧房の前にある二つの校倉(あぜくら)は最も古く,宝物と経典を納めてある。
鑑真は日本に来た時は盲目であったが,よく医薬を香気によって鑑別したというし,光明皇后の病気の際には召されて診察もした。6月6日は彼の命日で,この日だけ像が公開される。俳聖芭蕉は奈良に来てこの日に会い,像を拝んで,“青葉しておん目の涙ぬぐわばや”の名句を残した。その句碑は旧開山堂の前にある。鑑真によって真の仏教が日本に根をおろし,仏教看護も最高潮に達した。
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