紙上美術展
唐招提寺—鑑眞和上像
金子 良運
1
1国立博物館
pp.55
発行日 1954年3月1日
Published Date 1954/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200571
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芭蕉の句に「若葉して おん目の雫 ぬぐはばや」という有名な一句があります.この句は彼がかつて南都に遊んだとき,唐招提寺に詣でて開山銀眞和上の像をよんだものなのです.和上はもと揚州江陽県の出身で,大明寺で,大衆のため南山律を講じていたとき,日本から勅命によつて入唐した栄叡や普照らの謂により,筆舌につくしがたい苦難の末.ついに盲目となつて天平勝寳6年初めて吾国に律宗を伝え,又戒壇を東大寺の大佛殿前に築いて最初の授戒を行い,唐招提寺を創建したシナの高僧です.しかも和上の来朝にあたつては,朝野をあげての彼を本国に留らせようとする妨害や,或は海賊に襲われ或は難破するなど,そのたびに計画は挫折して.唐の天寳元年渡航の素志をいだいてより実に前後13年の長い歳月を費し,遂に6回目に遣唐使の帰朝船に便乗してやつと奈良の都に入京する事ができたのでした.
像は遠山模樣の袈裟をまとい,結跏して両手を腹前に重ねて禪思する和上の姿を写したもので,高さ2尺7寸乾漆で造られてあります.
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