メロデイーの泉・2
ワルツ王シュトラウス
山本 金雄
pp.91-94
発行日 1953年11月15日
Published Date 1953/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912503
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若い縮毛の青年ヨハン・シュトラウス,19才になつた許りで,当時のウインでは未成年者として取扱われ,独立の職業につくことができなかつたが,ウイン知事の證明で特に許可となつた。彼は24人のオーケストラの樂員を集めて,ヒーツィングの酒場「ドムマイヤー」でヨハン・シュトラウスの自作の舞曲,及び種々のオーバーチュア(序曲)オペラの抜粋を指揮演奏する夜会舞踏会が1844年10月の或る夜行われる事になつた。
父シュトラウスは,当時全ヨーロッパを風靡し,ヨーロッパ各地を演奏旅行して新しいワルツの作曲家指揮者として,飛ぶ鳥を射おとす勢にあつたが,家庭をかえりみず,妾を持ち,別居の状態にあり,母親の下に生活をしていた息子シュトラウスの演奏会には遂に姿を現わさなかつた。
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