特集 臨床から教育をふりかえる
《学院教育から得たもの》
ナースは王選手の宣伝人形であってはならない
富山 明子
1
1パイロット万年筆志村工場健康管理室
pp.19-21
発行日 1965年7月1日
Published Date 1965/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905475
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私の通勤途上に薬局があり,店には王選手の宣伝人形が右手に薬をもちあげたり,さげたりしている,そんなところを通っているのが私であるが,いつも考えることは,王選手の宣伝人形はいつも同じ速さと動作で右手をあげさげして私に人びとに呼びかけている。もし宣伝人形を看護婦に,町ゆく人びとを患者に置き換えて考えてみると,看護婦は患者の要求も知ろうとしないで,自分の考え方で,誰に対しても同じ看護を提供しているとすると,まさしく王選手の宣伝人形と同じではなかろうか。この場合看護婦が人形なら,患者のほうも看護婦を人間だととらえる時,個人の気持を理解しないで押しつける看護では,患者は私を人間として扱ってほしいと声なき声が訴えているのではなかろうか。
世の中の進歩が一時一時の歴史の連続であるなら,看護教育にたずさわっている方たちが看護教育を通じて悩みつつ変化しつつあるであろう。私は看護学院を卒業して臨床経験をもたず6年を過している今,看護教育について記述することは僣越かもしれないが,ただ私が過去より現在の間の感想文としてお読みいただきたい。
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