扉
ゴルフェッサー—脳神経外科医の栄光と悲惨プロローグ
朝倉 哲彦
1
1鹿児島大学脳神経外科
pp.1095-1096
発行日 1989年12月10日
Published Date 1989/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436202922
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開頭の際にもっぱらGigliの線鋸を用いていた時代には,脳神経外科医が運動不足を訴えることなど全くなかった.尤も食糧事情も余りよくなかった上に,麻酔用酸素ボンベを運搬したり,麻酔器のバッグを手で押し続けたりで,結構肉体労働が激しかったからでもあろう.
いつの頃からか,脳神経外科医が運動不足をかこつようになったのである.気が付いてみると,エアトーム,キューサー,レーザーと人力に変って作業をすすめるツールがやたらに導入され,顕微鏡下に微細な手術をやっていると,肩凝りは起っても,決して運動をやったことにならない.私の恩師の一人は,手術中は脳幹網様体を刺激するために立ってやれとおっしゃっていたが,最近ではanastomosisのためにやむを得ず座ってやる機会も増えている.
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