インタビュー
私の生きてきた道—きびしい階級制度に泣きました—松江赤十字病院社会部長秋山正子さん
所沢 綾子
1
1本誌
pp.64-65
発行日 1963年2月1日
Published Date 1963/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911858
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「今の人が考えたらおかしく思われるほど,私は古風な女でした」
長いお話の最後に秋山さんはつけ加えた。そして目が涙でいっぱいになった。私の中にも,何か電波が伝わってくるように,熱いものが走っていくような気がするのだった。秋山さんの生きて来た道,そして新しい看護婦さんが踏み越えて来た道。こうして看護婦の道は開け進んでいくのだろう。「私も10年か,20年後に生まれて来たかった」という秋山さんのことばは,じつは40代,50代の看護婦さん全部の声かもしれない。いや,看護婦さんばかりではなく,あの苦しい戦争時代を生きて来た庶民の声であるかもしれない。私だって,今の若いいきいきとしたお嬢さんたちが,ぱっと開いた花びらのようなスカートに,短かい上着をきりっと着て,スンナリ伸びた足をのびのびと伸ばして活歩している姿を見ると毎日モンペをはいて,軍服の穴をかがりに学校工場へ通った自分の青春を思い浮かべて,何か取り戻して見たい,あせりに似た思いがする時もある。
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