扉
センス・オブ・ユーモア
金子 光
pp.1
発行日 1962年7月15日
Published Date 1962/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911671
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ユーモアを解するということ,ユーモアのセンスがあるということは,文化人の要素の一つだといわれています。ユーモアというのは日本のシヤレとはまた違つたセンスであると思うのですが,いずれにしても人をよろこばせ,愉快にさせる点ともに公衆衛生上有益なものだといえましよう。
日常生活の中にぴつたりとはめこんで,無理のないユーモアを豊かにもつていて,心からこれを愛する国民は米国人だといわれています。何年前のことであつたと思います新聞記事の中でみつけた米国人のユーモアのことですが,ある時,米国の要人が日本を正式に訪問された時のこと,東京での用件をすませて大阪に飛んでいつたその日,たまたま飛行機が伊丹の飛行場について,府知事や市長やお偉方が大勢出迎えてあいさつを交換している最中に,ユラユラッと,日本名物の地震が,それもかなりの強震がやつてきた。日本人側は,地震をしらない米国人だからさぞびっくりしたことであろうと心配顔でいると,かの客人は少しもあわてずにニッコリと笑つて知事さんに向つて「大阪は大地をゆさぶつて私を歓迎して下さいました。光栄です」といわれたということで,日本人は狐につままれたような顔を並べていたらしい。とつさにヒョッと出るこのセンス仲々まねてもできるものではない。また別の例では,日本のある大学教授がアメリカに留学した時のこと。
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