教養講座 小説の話・35
美しいエゴイズム—大岡昇平の「俘虜記」
原 誠
pp.74-76
発行日 1960年2月15日
Published Date 1960/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911047
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戦爭中,私たちは,死ぬときの心構えということを教えられました。決してイヌ死をしてはならない。大日本帝国のため陛下のためにシコのミタテとなつて,いさぎよく死ぬべしと教えられました。いまどきの人たちに,シコのミタテなどという言葉はぜんぜん通用しないでしようが,当時は小学生,中学生くらいの子供まで,合言葉のようにシコのミタテをとなえていたものです。漢字で書けば「醜の御楯」。醜(シコ)というのは自分を卑下した言葉ですが,醜いことを同時に強いことと考えた万葉時代の古代感情から,ここではもつぱら,強い楯という意味にもちいられました。陛下に忠節をささげる強い楯となれ,ということだったのです。
決してイヌ死をしてはならないと教えられましたが,イヌ死とはどんな死に方か,もしかしたら当時は病死することもイヌ死のひとつだつたのかもしれません。病気などしてしまつたら,全然シコのミタテのお役にたたないのですから。その恥ずべきイヌ死のうちでも,当時もっとも屈辱的なこととされていたのは,敵の軍門にくだるということでした。結果としては戦いに敗れて,連合軍の軍門にくだつたのですから,なんのことはない日本中がイヌ死のうちでも最たる屈辱にあまんじてしまつたといわなければなりませんが,あのがむしやらな戦爭中,指導者たちは口をそろえて,降伏するくらいなら自決しろ,と叫んでいたものです。
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