扉
「風立ちぬ」に寄せて
pp.4
発行日 1959年1月15日
Published Date 1959/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910759
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「風立ちぬ,いざ生きめやも」というポール・ヴアレリーの「海辺の墓地」の一節を基調とした堀辰雄の「風立ちぬ」は,発表後ますます多くの読者を獲得しているようです。作者の堀辰雄は,とうに逝去したのですが,この作者は,死後ますます多くの読者を,その魂の周辺に惹きつけているようです。それは,作者自身が病身であつたということへの単なる同情だけではありません。ただ病者であるからということだけで,世の人の同情が得られるとしたら,この世には,あまりにもその同情を必要とする人が多過ぎるでしよう。
堀辰雄の文学が若い世代の人たちにも愛し続けられるのは,病者の特徴とでも言えるような微妙な心理を掘り下げたきめのこまかい文学作品を創造したからにほかなりません。「風立ちぬ」は,その堀文学の中でも,最も深刻な作品です。そこでは,世の人たちが世間的な幸福をあきらめてしまうところからスタートして,一種の風変りな愛情をあたため合つているからです。主人公は,その愛する許嫁—病身の愛人を,サナトリウムに送つてゆき,そこで一緒に生活しながら,自分の創作の仕事をしようとするのです。不幸にして,その許嫁はその療養所では2番目ぐらいに重症であり,しかも,もつとも重症とされていた患者は死去するのですから,その次の運命は……といつたような世間的な意昧では全く打ちのめされた境遇にあるような人物の設定のされ方をしています。
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