鏡下咡語
医業も歌も
萩野 昭三
1
1萩野耳鼻咽喉科医院
pp.578-579
発行日 1981年8月20日
Published Date 1981/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492209294
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「黒田節」と「ローレライ」
昭和40年NHKのコンクール歌曲の部で,ブラームスの「Die Mainacht"(五月の夜)」を歌って,全国優勝したことで,その年の4月11日号のサンデー毎日のインタビュー欄に紹介され,その記事が,その年東京で行われた『国際耳鼻咽喉科学会』の世話役であった慶応大学の西端教授の目に触れ,『ドイチェアーベント』という名の日独(ドイツ圏のオーストリア,スイス等を含む)の教授達の交歓パーティに歌のゲストとして招かれた。そのパーティで,私はよく愛唱している日本の代表的民謡である「黒田節」と,ドイツの「ローレライ」を歌った。西端教授のドイツ語による「黒田節」の解説もあって,会場は割れんばかりの拍手がおこり,何人もの外人の教授から握手を求められた。「ローレライ」を歌った時には,プライベートの会話がすっかり止まり,期せずして参会者が声を合わせて合唱したものである。やがてアンコールがあって,あるドイツ人から日本古謡の「さくらさくら」を指定された。とっさのことでもあり,恥かしながら,その歌詞がよくわからず,あわてて伴奏者と相談し歌詞を二人で思い出し,やっとの思いでアンコールに答えた。この時ほど「音楽に国境はない」と痛感したことはない。話す言葉が通じなくとも,音楽なら一つの感動に共鳴し,一つの世界を皆で共有できるのである。
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