発行日 1951年2月15日
Published Date 1951/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906804
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私が彼女を初めて知つたのは私が主宰している熱帯醫學月次會の席上だつた。(だからこの話は現在臺灣の話である)臺北保健館の王館長が自分の身邊に面白い女性がいる,それは近ごろ米國から歸り,自分の所で護理長として公共衞生護士(保健婦のこと)を訓練している人で一流の見識があるから我等の月次會に招ぼうというのであつた。我我は賛成し,彼女と座談することになつた。
その席上で私は玲悧そのものを見た。彼女の話はトロントに於ける看護婦訓練で我々衞生屋の已に知つている話だつたが惜しいことに彼女はアメリカのニグロに對する恩惠醫學と今迄臺灣に行われた日本式の温情醫學について批判する見識はなくて「看護婦は醫師を活用して患者處理の最高責任を果す」と云うような意見で結んだ。聞き終ると醫師は丁度女主人のシヤンデリヤを修繕する電氣工夫のようなものになる,私共月次會は醫事衞生について最も進んだ人々ばかりであり新企劃をする人々であるからあちらで習つたことをこちらで述べられたらそれについて討論する氣にはなれない連中だ。
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