発行日 1954年9月15日
Published Date 1954/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909642
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(1)
(あーあ)
中西さんは,窓ガラスにおでこをあてて街を見おろしながら,後頭部に両手を組んで,気がなさそうに欠伸(あくび)をした。病室動務から皮膚科に廻された憂うつの欠伸である。
中西さんは,日赤を出るとすぐ海軍病院に勤め,それから病院船に乗り込んで香港からシンガポール方面を廻つてきた所謂(海軍出)のナースである。年は30を1つ越えているが,終戦後永年馴れた病室勤務が志望だつたのでここの病院に来たのだが,若竹を張つたようなスツキリとした姿で,気やかましい入院患者を,テキパキと取扱う手際には,どことなく落ちつきがあつて,確かに(海軍出)の経歴が光つていた。だが3年とたち5年と過ぎるうちに,いつしように入つた人達は次ぎつぎに,眼科婦人科又は耳鼻科などの主任になつて,平(ひら)でいるのは中西さんだけになつてしまつた。でも中西さんはそんなことは無頓着で,夜勤の翌日の休みに,人形造りや生花のお稽古に通うのが何より愉しかつた。それが下谷の伯母さんには気にいらなかつたらしく,いつかの休みに訪れた時,(いつまでも平看護婦でいるなんて,出世の妨げになるぢやないか)といわれた。その出世という言葉は,あからさまに結婚を意味していることであり,それとなく中西さんの身の上を案じてくれる気持ちはよくわかつているが,そういわれる度に中西さんは面白くなかつた。
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