発行日 1950年1月15日
Published Date 1950/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906588
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手術室のガーゼ洗い,病棟の床掃除,お醫者樣の鞄持ち,婦長さんの小間使い,書きあげれば數限りないが,これが徒弟式訓練をうけていた日本の看護婦の姿であつた。患者との接觸は,1日數回の檢温と投藥,それすらも附添の家族に委せる場合が多く,廻診時の介補が唯一の仕事として何年續けられて來たのであろう。それが今日新しい法律の制定となり,大學制の看護婦教育に變り,その専門職業たる基磐が確固として築かれたのである。
社會的には特權階級にあつた從來の醫師の隷屬的存在としてのみ看護婦は位置づけられていたので,獨自性など全く考えられてなかつた。歐米醫學の日本輸入と同時に入つて來た筈の歐米看護の職業は,男性中心の封建的社會組織の犠性となつかものと言えよう。今や封建制は覆えされ,民主日本の自主制が輝やかしく浮び上つて來た時,看護婦は敢然立つてその社會的地位の確保向上に努力すべきである。社會的には性の區別を全く認めなくなつた筈の今日,參政の權も平等に,高位要職に就くことも自由である。第1回の民主國會に27名の婦人代議士も送られ,先輩國アメリカを驚かした。次官も局長も出た。併し,何れも個人としての女性の地位であつて職業的地位の向上にはなつていない。
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