発行日 1949年11月15日
Published Date 1949/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906562
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石井婦長のことゞも
コレラで衰弱し切つたところへ惡性の潰瘍が上腿に發生したのだから堪らなかつた。今ならペニシリンという手もあつたけれども,何しろ終戰直後の收容所であり,第一その病院が中國側に接收されていて,いわば軍醫の私達以下,捕虜として働いているのだからコレラ病棟にはペニシリンどころではない不自由さがあつた。終戰の年の晩秋,南京での出來事である。病棟には中國側と日本側のコレラ患者が溢れて,毎日蠅のように死んで行つた。しかし戰爭が終つたという意識と空襲による内地の慘状に對する無知識とが,私たちの間に明るい希望と陽氣さを齎らしていた。
その頃である。齋藤銀次郎という兵隊が入院してきた。そして冐頭のような不幸に遭つたのだ。榮養品でも潤澤なら,衰え切つた彼の食欲を刺激し得て,或は九死に一生を得たかも知れないけれども,そんな榮養品などあろう筈も無い。
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