発行日 1949年11月15日
Published Date 1949/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906563
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家庭に對するシヨパン
彼は家庭への便りにはいつも體の調子がよいように書き,ウインやパリーの面白い話を傳えるようにしたが,親友ティトウスへの手紙には心の惱みを告白し,パリーでは「知人は限りなくあるが,1人としで悲しみを共にする人がいない」と述べている。そして健康については,「……眞面目にいうに僕の健康は惡いのだ。何かの豫感,不安,夢──又は不眠──憂うっ,無關心,生への渇望と次の瞬間の死への渇望,或種の甘美な平安,或種の無感覺,茫然自失状態,そして一定の記憶が僕を惱すのだ。僕の心はすつぱく,苦く,辛い。何かいまわしい感情の混亂が僕をゆすぶるんだ。僕は前よりも愚かになつた。かんにんしてくれ給え。……君を抱ようする。死の日迄君のフリッツ・ショパンより」とある。パリーでは時々演奏會をして自作のものを發表したが,そうした會は藝術的には成功であつても,經濟的には失敗であることがよくあつた。その當時のショパンの父の經濟状態からして,父に仕送りを願うわけにも行かなかつた。
ショパンは生活のためアメリカへ渡ろうかと考えた事さえあつたが,親しい人の忠告で思いとどまつた。その中に上流社會の人々との交りが深くなり,名家の夫人や令孃でピアノを習いたいと申出る人が多くなつたので,之による謝禮によつて生活のための金が相當は入るようになつた。
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