名詩鑑賞
—高村光太郎—あどけない話
長谷川 泉
pp.14-15
発行日 1949年11月15日
Published Date 1949/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906556
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高村光太郎の妻智惠子は昭和13年10月,南品川のゼームス坂病院で精神分裂症患者として入院中,粟粒性結核で53歳の生涯を終つた。「あどけない話」の詩は,光太郎が愛妻をいたんだ詩篇「智惠子抄」に收あられている。昭和3年5月10日の作である。「智惠子抄」には,この あどけない話」のほか「あなたはだんだんきれいになる」「同棲同類」「風にのる智惠子」「千鳥と遊ぶ智惠子」「値ひがたき智惠子」「山麓の二人」「レモン哀歌」など,狂いゆく愛妻に寄せる愛情を率直に表明した作品が多く收められている。
智惠子は日本女子大卒業後油畫を學び,當時の女子思想運動の先端をゆく雜誌「青鞜」の表紙畫を畫いたりした。光太郎と結婚したのは大正3年で,爾來死ぬまでの24年の生涯は愛と生活苦と藝術への精進と鬪病との間斷ない連續であつた。智惠子の純愛は光太郎の頽廢生活を清淨にし,智惠子の存在は光太郎にとつては藝術的創作意慾の源泉てあつた。「自分の作つたものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるといふ意識ほど,美術家にとつて力となるものはない。…私はさういふ人を妻の智惠子に持つてゐた。」とは光太郎のいつわらざる告白である。
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