特集 海外看護事情—日本人看護婦からの手紙
【ネパール】異文化のなかで見た看護—ヒマラヤのふもとネパール
清水 直美
1
1元・トリプバン大学医学部附属教育病院ICU/CCU
pp.34-35
発行日 1996年1月1日
Published Date 1996/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661904987
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ネパールの村の一日
朝霧が静かに流れときを刻む.まだ薄暗いのに,人々の生活はゆっくりと始まっている.川まで食事の水くみに行くのは子どもたち.そしてアマ(お母さん)がかまどに火を入れ,チヤ(お茶)をわかす.朝のチヤはとても甘くおいしい.ヒマラヤ連峰が姿を現わし,山の斜面を切り取って段々に広がる水田や畑に朝日が届く頃,家々からいろいろな生活の音が聞こえはじめる.食事はカレー味の野菜とご飯で1日2回.現金収入を得るため町まで働きに出る息子,畑仕事をする嫁,赤ん坊の子守りは子どもたちが,そして父は家畜の世話.3世代数家族の大家族は各自がその役割を持って暮らす.女たちは一日中よく働く.陽が暮れはじめると,家族はかまどのある部屋でラジオを聞きながらとうもろこしの皮をむき,話がはずむ.そして空がこぼれんばかりの星で一杯になる頃,村は静かに眠りにつく.
私はこうした暮らしのあるネパールで1984年から2年間青年海外協力隊員として,1987年から2年間はJICA(国際協力事業団)結核対策の専門家として過ごした.
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