2001フロントライン ソーシャルサポート
若年中途障害者への相談窓ロを開設して—1年間に寄せられた相談や依頼
山ロ 研一郎
1,2
1やまぐち脳クリニック
2「頭部外傷や病気による後遺症を持つ若者と家族の会」
pp.147-152
発行日 2001年2月1日
Published Date 2001/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661903669
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「中途障害者情報センター」設立まで
私がかつて勤務した高槻市内の病院の脳外科病棟には,交通事故による頭部外傷で寝たきりになった若者が数人入院していた.いずれ在宅で過ごすことになる彼らの家族には,重い介護負担,展望のない将来,老後や自分たちがいなくなったとき息子・娘はどうなるのかなど,さまざまな不安が山積みであった.悩みを親身になって聞いてくれる人もおらず,相談できる窓口もなく,多くの人々が途方に暮れていた.私は「交通戦争」とも呼ばれる社会現象の被害者である若者たちに,もっと社会が手を差しのべるべくマスコミにも訴えたが,ナシのつぶてであった.1990年,一部の福祉関係雑誌が取り上げてくれたが,世論を動かすまでには至らなかった.
1992年,NHKスペシャル番組「あなたの声が聴きたい」で,札幌麻生脳神経外科病院の紙屋克子看護部長(現筑波大学医学部大学院教授)らが取り組む遷延性意識障害患者の覚醒への試みが紹介され,一気に茶の問の話題にのぼった.そして,写真週刊誌『フライデー』が,私が担当した事故後1年8か月を経て意識障害から脱却した田村和弘君(当時22歳)を紹介するにおよび,私が勤める病院へ問い合わせが殺到した(1994年).もはや,私1人がこの問題を抱え込み悩んでいる余裕は残されていなかった.
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